
短い謝罪の下に、反応だけが増えていった。
「気にしないで」
「誰にでもあるよ」
「次、頑張ろう」
やさしい言葉だった。
親指を一度動かすだけで送れる、小さな絵も並んだ。
笑顔。
祈る手。
温かそうな色のハート。
誰も責めていなかった。
だから、その場所は安全に見えた。
謝った人が、何に傷ついているのかは書かれていなかった。
何が起きたのかも。
なぜ一人で謝ることになったのかも。
ただ、やさしい反応だけが増えていった。
痛い場所に触れないまま、
善意が包帯のように巻かれていく。
白くて、清潔で、正しい包帯だった。
巻いた側は、少し安心する。
何もしなかったわけではないと思える。
傷つける言葉を使わなかった自分でいられる。
でも、包帯の下にあるものを見た人はいなかった。
血が出ているのか。
何かが折れているのか。
そもそも、そこに傷があるのか。
誰も確かめなかった。
やさしさは、ときどき早すぎる。
相手が痛みを言葉にする前に、
大丈夫な形へ戻そうとする。
泣く前に慰める。
怒る前に落ち着かせる。
問いかける前に、わかるよ、と言う。
そうして、傷ついた人は、
傷ついたまま、安心した顔を求められる。
善意が悪いのではない。
ただ、やさしい言葉を置く前に、
そこに座ってみることはできる。
何があったの、と聞く。
答えが出るまで待つ。
わからないまま、隣にいる。
包帯を巻くのは、
傷を見てからでも遅くない。
包帯のような善意—静川朔