泥のような美しさ

自分の軸を持っている人になりたかった。

人に流されない。
評価に左右されない。
誰が何と言っても、自分の正しさを知っている。

そういう人を、美しいと思っていた。

だから、他人の価値観で生きる人を見下した。

いいねの数。
収入。
肩書き。
誰とつながっているか。

そんなものを気にしている人は、自分を持っていないと思った。

ある日、気づいた。

自分が選んできたものの多くは、
あの人たちとは違う、と示すためのものだった。

反対側に立つことで、立っている気になっていた。

人の価値観に従ってはいなかった。
でも、人の価値観に反発することでしか、自分を作れなかった。

向きが逆なだけで、
同じものにつながれていた。

恥ずかしかった。

自分の軸だと思っていたものが、
誰かを見下すための棒だった。

それから、立派な言葉を少しずつ手放した。

美学。
哲学。
信念。

なくなると、何も残らない気がした。

でも、残ったものがあった。

くだらないことで笑ったこと。
失敗した日の帰り道に、風が気持ちよかったこと。
うまくいかないまま食べたご飯がおいしかったこと。

整っていなかった。
人に見せられる形でもなかった。

泥の中で、笑っていた。

それは、誰かに勝つための美しさではなかった。

誰にも説明できないまま、
自分が確かに生きていたという、
泥のような美しさだった。

泥のような美しさ—静川朔