どこにも、僕はいない

資料は、よくできていた。

余白は揃っていた。
数字には根拠があった。
難しい話は、誰にでもわかる言葉に置き換えた。

読む人が迷わない順番で、すべてが並んでいた。

褒められた。

わかりやすい。
きれいだ。
よく考えられている。

言われるたびに、ありがとうございます、と答えた。

自分でも、うまくできたと思った。

夜、一人で最初から読み返した。

どのページにも、間違いはなかった。

それなのに、途中から知らない人の文章を読んでいる気がした。

相手が言いたかったことがある。
上司が求めた結論がある。
過去に通った言い回しがある。

それらを丁寧につなぎ、角を取り、読みやすくした。

書いたのは自分だった。

でも、自分が立ち止まった場所は、どこにもなかった。
本当は少し違うと思ったことも。
なぜか心に残った景色も。
うまく説明できずに消した一行も。

全部、完成する前に外していた。

必要がないと思った。
仕事には関係がないと思った。

たぶん、それで正しかった。

正しかったから、苦しかった。

自分を消すことは、失敗ではなかった。
むしろ、それが上手になったから評価された。

誰かの言葉を、誰かに届く形へ変える。

そのたびに、原文から少しずつ遠ざかる。

最後のページを閉じた。

完璧だった。

完璧なものの中で、
自分だけが、どこにもいなかった。

どこにも、僕はいない—静川朔