
人のために椅子を引くのは、得意だった。
話しやすいように質問した。
言葉に詰まれば、続きを待った。
うまく言えない気持ちを、わかりやすい形に整えた。
自分と話すと安心する、と言われた。
うれしかった。
誰かの言葉が座れる場所を作ることが、
自分の役割なのだと思った。
会議でも、食卓でも、同じだった。
怒っている人がいれば、理由を探した。
意見がぶつかれば、両方が納得できる言い方を考えた。
沈黙が落ちれば、自分が先に声を出した。
場は、よく整った。
整うたびに、褒められた。
ある日、聞かれた。
「あなたは、どうしたいの」
答えられなかった。
みんなの言葉には、座る場所があった。
自分の言葉だけが、立ったままだった。
いつからか、自分の椅子まで誰かに譲っていた。
譲ったつもりはなかった。
相手が座りやすいように少しずつ場所を空けただけだった。
迷惑をかけないように。
空気を止めないように。
必要な人でいられるように。
気づいたときには、
自分が話すための席だけがなくなっていた。
言葉は、優しい顔のまま、席を削ることがある。
誰かを傷つけないための言葉。
場を丸く収めるための言葉。
そのどれもが間違いではない。
ただ、誰かのために椅子を引くたび、
自分の椅子が残っているか確かめてもいい。
座っていい。
うまく話せなくても。
場を少し止めても。
自分の言葉にも、
一つくらい、席があっていい。
言葉の席—静川朔