
その人は、間違えたから遠ざけられたのではなかった。
よく見えてしまったからだった。
言葉が止まった一瞬を見逃さなかった。
笑顔のあとに残った疲れを見つけた。
本人さえ隠したつもりの記憶に、静かに触れた。
責めなかった。
無理に話させようともしなかった。
ただ、そこにあると気づいた。
気づかれた人は、少しだけ話した。
話した夜、一人になって怖くなった。
言うつもりのなかったことを言った。
閉じていた場所を、誰かに見せた。
翌日、その人を遠ざけてほしいと頼んだ。
嫌いになったわけではない。
傷つけられたわけでもない。
むしろ、届きすぎたのだと思う。
遠くにいる人には、きれいな言葉で話せる。
近くにいる人には、言葉になる前のものまで見えてしまう。
見つけてほしいと思っていた。
でも、本当に見つかると、逃げたくなった。
理解されることは、いつも救いになるわけではない。
自分でも見ないようにしていたものを、
他人の目の中で見つけてしまうことがある。
その人は、何も悪くなかった。
だからこそ、別れの理由が見つからなかった。
「近すぎる」
残ったのは、その言葉だけだった。
距離は、冷たさではない。
触れられる準備ができるまで、
自分を閉じておくために必要な場所もある。
ただ、遠ざけられた側にも痛みがある。
守るための距離が、
誰かにとっては拒絶になることを、
忘れてはいけないと思う。
近すぎる人—静川朔