流れ

朝の八時半に、かつての通勤ルートを逆向きに走っていた。

自転車だった。スーツではなかった。Tシャツにジーンズで、リュックを背負って、みんなが向かう方向とは反対に走っていた。

駅に向かう人たちとすれ違った。たくさんの顔があった。革靴の音。ヒールの音。イヤホンをつけた横顔。スマホを見ながら歩く人。信号待ちで並んでいる背中。少し前まで、自分もあの列にいた。同じ方向を向いて、同じ速度で歩いていた。

逆向きに走っていると、顔が見える。流れの中にいたときは見えなかった。同じ方向を向いていると、前しか見えない。前の人の背中しか見えない。でも逆向きだと、顔が見える。一人ひとりの顔が、一瞬だけ、目の前を通り過ぎていく。

ほとんど、目が合うことはなかった。

彼らの視界に、自分は映っていないのだと思った。カジュアルすぎる服装の、学生でもない、会社員でもない人間が自転車で逆方向に走っていても、誰も気にしない。取るに足らない存在なのかもしれなかった。でも——たぶん違う。彼らは自分の世界の中を歩いている。自分の目的地に向かっている。視界の外のことは、見えない。見えないのではなく、見る必要がない。それぞれの世界は、それぞれの大きさしかない。

学校を出るとき、世界は広く見えた。選択肢は無限にあるように感じた。どこにでも行ける気がした。何にでもなれる気がした。

社会に出ると、世界は複雑だった。ルールがあった。暗黙の了解があった。言っていいことと言ってはいけないことがあった。立っていい場所と立ってはいけない場所があった。その複雑さを一つずつ覚えて、順応して、うまくやれるようになった頃には——世界はとても狭くなっていた。

守られていた。安全だった。予測できた。でも、その安全の代わりに何かを渡していた。自由というほど大きなものではなかったかもしれない。もっと小さなもの。朝起きて、今日は何をしようかと考える、あの数秒間。何の予定もない午後に、ふと歩き出す、あの感覚。自分の足で、自分の方向を決めるという、ただそれだけのこと。

いつの間にか、それがなくなっていた。方向は決まっていた。流れがあった。流れに乗っていれば、考えなくてよかった。考えなくて済むことは楽だった。楽だったけれど——声が出なくなっていた。

今朝、逆向きに走っていた。

風が顔に当たっていた。向かい風だった。流れに逆らうと、風が来る。流れの中にいたときは風を感じなかった。同じ方向に同じ速度で動いていたから。

逆向きだと、全部が違って見えた。見慣れたはずの通りが違う通りに見えた。いつも通り過ぎていたパン屋の看板が目に入った。信号の位置が違う角度から見えた。街路樹の枝が、こちら側からだと空をもっと広く見せていた。

同じ場所にいるのに、向きが違うだけで、見えるものが変わる。

久しぶりに、人の顔をちゃんと見た気がした。

目は合わなかった。合わなくてよかった。ただ、顔が見えた。一人ひとりの顔。それぞれの朝を、それぞれの速度で歩いている人たちの顔。流れの中にいたときは、その顔に自分の不安を重ねていた。自分はちゃんとやれているか。ちゃんと立てているか。ちゃんとこの流れの中にいるか。

今朝は、ただ見えた。

自分の声と、自分の足で、ここに立っている。立てている、ではなく、立っている。それだけのことだった。それだけのことが、朝の空気の中で、少しだけ新しかった。

流れ—静川朔